【福岡ダイエーホークス 井口 資仁内野手】
リトルに限らず、野球は楽しくやれることが一番です
リトルに入ったのは、小6の秋。それまでは父が監督を務める少年野球チームで、キャッチャーをしていました。「リトルで硬式を早く始めたい」という気持ちは強かったのですが、僕の所属していた軟式チームが強かったこと、夏の大会が終わってからでも(リトルで)半年以上できるじゃないかということで、秋口まで見送ったんです。
保谷リトルに入団後、キャッチャーから内野手に転向しました。僕の野球人生の、内野手としての″歴史″はここでスタートしたわけです。
保谷リトルは僕の入る2、3年前から強く、極東大会へも出場していたチーム。土日の全体練習以外も、毎日のように練習していました。学校が終わると真っ先に飛び出して、グラウンドに行って練習。ランニングが多く、あとはタイヤを引いたり、ティーバッティングをしたり。でも、楽しかったですよ。
打てばかんたんにホームランが入る。60メートルぐらい飛んでいたかな。そのころも多少カはあったんでしょうね。流しても入るし、本当にホームランばかり打っていた選手だったんです。おまけにうちの親が、「試合でホームランを打ったらおこづかい」という約束をしてくれたものですから、なおさら気合が入ります。クリーンアップを打って「1試合3本」とか「1日2試合で4本」の荒かせぎをしたこともあれノました。でも、かんじんのおこづかいは「貯金しておくから」とか言われて、半分ぐらいしかもらえなかったなあ…(笑)。
振り返ればリトル、シニア時代が一番練習しましたね。プロまで進む間に、逆にだんだん練習が楽になつてきました(笑)。それもリトルのころ、基礎体力をつけたおかげだと思います。リトルに限らず、野球は楽しくやれることが一番です。イヤイヤでなく楽しんで野球をやっていれば、すばらしい人間関係など、生まれてくるものは必ずありますから。
僕もリトル時代の仲間とは、いまだに連絡を取り合っています。リトル、シニアの同期生が3人、同じ(国学院久我山)高校に入学。いっしょに甲子園にも行っていますしね。でも、オフに会うと決まって盛り上がるのはリトル時代の話です。寒い中、夜遅くまでライトをつけてたき火をたいて、真っ暗な中練習した思い出。それに付き合ってくれていた親にも、感謝しないといけないですね。
| 井口資仁(いぐち・ただひと) 1974年12月4日生まれ。東京・保谷リーグ出身。右投右打内野手。国学院久我山高から青山学院大学を経て97年、ドラフト1位で福岡ダイ工−に入団。2001年シーズンは打率.261、30本塁打、44盗塁を記録。 |
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