【ヤクルト・スワローズ 池山 隆寛内野手】
ウキウキと野球をやってもらいたいですね
いちばん記憶にあるのは、78年、全日本選手権に勝って日本一になつたことですね。当時の尼崎北リトルは、高橋治監督だったんですが、いまは兵庫播磨でやっていらっしやる。この間の全国選抜で優勝したでしょう。すぐにお祝いの電報を打っておきました。
グアムで行われた極東選手権では、2勝2敗。世界選手権には出られませんでしたが、韓国に0-1でサヨナラ負けしたのは悔しかったなあ。1回が終わったあとで、すごいスコールがきてサスペンデツドになつたんです。これはもう試合はできないだろうと、レストランでカツ丼を食べたのをおぼえています(笑)。ところが球場に戻ると、第2試合が終わったあとに2回表から再開する、と。結局ノーヒット・ノーランをくらってね。ただこの極東選手権では、つぎのグアム戦で満塁ホームランを打っている。そのイメージは、いまも頭にあります。極東選手権のあと、全国選抜にも推薦で出場しました。1回戦で負けたんですが、そのときの球場が神宮だった。これもなにかの縁かな(笑)。いまでも、リトルリーグのことは気になりますよ。新聞記事には必ず目を通すようにしている。
そもそも僕が尼崎北リトルに入ったのは、小学校5年のとき。それまでは軟式でやっていたんですが、父親に「入団テストがあるから受けてみろ」といわれてね。100人近く受けて、合格したのは僕を含めて3人だけだから、すごい競争率でしたね。ただ、練習でつらいということはなかった。それよりも、僕の中学では尼崎北は僕一人だけだったんで、学校以外の友達に会えるのが楽しくて…。グラウンドまで自転車で20分かかっても苦にならないんです。ちょっと熱があっても、練習に行くと治るんですから、不思議ですよね。野球っておもしろいな、と思い出したのもこのころ。それが僕の原点で、その気分のまま大きくなった気がする。いまでも野球をするとなるとウキウキするんです。
野球以外でも、人と会ったらきちんとあいさつをすることや、人の前ではきはきと話すことなど、リトル時代に教わったことは多いですよ。いま、リトルリーグでやっている子どもたちも、そのあたりを大切にしてウキウキと野球をやってもらいたいですね。
| 池山隆寛(いけやま・たかひろ) 65年12月17日、兵庫県生まれ。小学校5年で尼崎北リトルに入団し、卒団後は中学の陸上部に。市尼崎高時代の83年夏、甲子園に出場。 その年のドラフト2位でヤクルト入り。ブンブン丸の愛林で人気者になった。2001年はベテランとしてナインを叱咤、ヤクルトの日本一に貢献した。ベストナイン5回。 |
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