【オリックス・ブルーウェーブ 谷 佳知外野手】
リトルで野球を好きになったのが今の僕の土台
僕が東大阪リトルに入ったのは、小2のとき。兄が先に入っていたので、もっと前から親といっしょにグラウンドに通ってはいたのですが、2年生からしか入団できなかったんです。当時は東大阪市自体の野球人口が多かったそうで、東大阪リーグも150人ぐらいのリーガーを抱えていました。だから、最初にもらった背番号は「110」。小さな背中に赤い数字がはみ出んばかりでした。
リーグはまたABCの3チームに分かれていて、グラウンドも専用のものが3つありました。まずCに入って、B、Aと上がっていく。それぞれで僕はキャプテンを務めました。
小学校のときは、本当に野球が楽しかったですよ。あまり勉強ができるほうではなかったんで(笑)、学枚が終わってからのほうが生き生きしていましたね。練習は毎日だったし、それなりに厳しかつたけど、ほとんど休まずガムシヤラにやっていました。何より監督が野球の楽しさ、日々の練習で上達する喜びを教えてくれたのが大きかったのだと思います。
家からグラウンドまでは自転車で30分ぐらい。学校が終わってからの、自転車通勤(!?)はつらかったですね。2年生のころから、ユニフォームにカバンを斜めがけして、毎日兄の後ろをついていって。冬になると、大阪でも寒いんですよ。手袋をはめていても、手がかじかんでしまう。家に帰ると、母が両手をお湯につけて温めてくれた、そのお湯のぬくもりが一番の思い出です。
リトルで野球を好きになり、毎日練習に通ったことが、今の僕の土台になりました。もしこれを読んでいる人で、イヤイヤ練習に通っている人がいたら、リトルはもう辞めて、ほかのことを頑張ったほうがいいと思います。それでは身につかないから。また、もしプロ野球選手を目指しているのなら、まず監督やコーチが教えてくれる基本を大切にしてください。プロがやっているプレーはカッコよく見えるけど、みんな基本があるからこそ、そういうプレーができるんですよ。
当時はホームランの多い、結構いい選手だったんですよ。それでも兄はもっとスゴイと思った。ついていくのがやっとでね。兄がいて、兄のレベルで野球を見ることができたというのも、僕にとっては大きかったんでしょうね。
| 谷佳知(たに・よしとも) 1973年2月9日、大阪府出身。冬誠学園から大商大、三菱自動車岡崎を経て、97年ドラフト2位で入団。高2夏は甲子園ベスト4、社会人ではアトランタ五輪銀メダル。今季は136試合出場、打率.325はパ5位、二塁打52は同1位、ベスト9獲得。173cm75kg。右投右打、外野手。 |
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