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【阪神タイガーズ 沖原 佳典内野手】
一度はサッカーにグラリ…しかし野球が断然おもしろかった

沖原佳典  小2のとき転枚してきた子がリトルに入っていて、僕を誘ってくれたんです。それまでは遊び程度で野球をやっていたんですが、みんなでまとまってできること、本格的に硬球でやってみたかったこともあって、入団しました。当時、僕はおかっぱ頭で、リトルに入るには丸刈りにしなくちゃいけない。でも不思議と抵抗なく、バッサリいけました(笑)。

 えひめ西(現松山)リーグは学年別にA、B、Cと分かれていて、まず入ったのがC。確か4年生のころ、Bをほぼ飛び抜いて、CからAに上がりました。ピッチャーとショートをやっていて、結構思ったように打ったり投げたりしていた。楽しかったですね。西日本大会だったかなあ、大阪で開かれた大会に出場して、ショートを守ったのは一番の思い出です。

 練習は厳しかったけど、リトルで基本をきちんと覚えることができたのは、本当によかったと思います。社会人のチームで野球をやっている方がコーチに来て、基本をしっかり教えてくださったので、変なクセなくできるようになったんです。監督さんにはそれからもずっとお世話になって、会うたびに「プロに行けるようにがんばれ」と励まされました。こうしたたくさんの方々のおかげで、今日の僕がいます。

 今だから白状しますが、実は一度だけ、リトルを辞めようと思ったこともあるんですよ。土、日の練習で、学校の友達と遊べないでしょう。まあ土曜日は「お腹が痛い」と言って、ちょっとサボったりもしていたんですけど(笑)。

 6年生のときに、サッカー漫画の『キャプテン翼』がはやって、誰もがサッカーに夢中になつたんです。平日も朝の5時から集まって、みんなでサッカーをして遊びました。僕、サッカーも結構じょうずにできて、かなり揺れたんですよ。それもあって、「辞める」と言いました。

 ところが、素振りとかランニングとか、家での練習に付き合ってくれていた親父が、それを「ダメ」とは言わなかった。「あ〜、そうか」とひと言。だから逆に、素直に戻ってくることができたのかもしれません。やっぱり僕にとっては、野球のほうがサッカーより断然おもしろかったですし。

 ただね、野球を「辞める」と言ったときの親父のさびしそうな顔…あれは今でも、忘れられないですねえ。

 沖原佳典(おきはら・よしのり) 1972年7月27日、愛媛県出身。西条高校から亜細亜大学、NTT 東日本を経て、2001年ドラフト6位で阪神入団。内野手、背番号8。昨年のシドニー五輪ではトップバッターとして活躍、打率.314の好成績。2001年シーズンは開幕直後の左手甲骨折もあり、71試合の出場に。2年目に期待がかかる。177cm75kg、右投右打。


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