【大阪近鉄バッファローズ 岩隈久志投手】
家の中でも野球ざんまいで天井までボコボコに!
昨夏、東京北砂のニュースは注目して観ていました。「ああ、北砂が行ったんだ」って。昔から強いチームでしたからね。
僕がリトルに入ったのは、小学校1年生のとき。入学前の健康診断の帰り道、見学に行ってキャッチボールなどをやらせてもらって、「入りたい」と言ったんだそうです。それまでも、父や2つ上の兄と家でキャッチボールをしたりしていたのですが、やはり同世代のみんなとやるほうが楽しいと思ったんでしょうね。いっしょに行った兄をさしおいて、僕だけがさっさと入団してしまいました。結局半年後、兄も入団したんですけれども。
小学校のころは、とにかく毎日野球をやっていましたね。リトルは土、日とお休みの日だけ。でも平日も、学校から帰ったらリトルの仲間と集まって、近所で軟らかいボールを使って野球をしていました。家でもヒマなときには、部屋の中で壁当てをやって。そのせいで「天井がボコボコになった」と、今も両親には笑われています。
リトルでは、練習も試合も楽しかった! 当時の東大和は東京でも三本の指に入るくらい強いチームで、試合もほとんど負けませんでしたしね。練習では、みんなで声を出しながらノックを受けて―たまに速い打球を打ってもらって、カッコつけてダイビングキャッチをしてみたり―なんせ楽しくやっていました。
怒られることもめったにありませんでした。たとえば守備でエラーしても、捕り方が悪いなどと、追及されることはありませんでした。「次にそれをカバーすればいいんだから、ドンマイ!」そんな考え方のチームだったんです。
父が審判をしていましたので、僕の投げる試合に主審を務めてくれた日は、家に帰ると必ず「どうだった?」と開きました。「外の球がよかったんじゃないか」なんていう父の言葉は、勉強になりました。一方の母は野球オンチで、いろいろ説明するのはたいへんでしたが、熱心に応援してくれたことに感謝しています。
20歳になったとき、母校の小学校から小包が届きました。中身は校庭にみんなで埋めた、“タイムカプセル”。「将来の夢」というタイトルの作文に、「プロ野球選手になる」と書いたものです。
リトルに入った小1のころからプロ野球選手に憧れ、「(プロと同じ)このボール(硬球)でやっていれば、きっとプロになれるんだ」と信じていました。とにかく野球を楽しくやった、そして野球を好きになった、僕のリトル時代はそんな夢へのまさしく原点だったと思います。
| 岩隈久志(いわくま・ひさし) 1981年4月12日、東京都生まれ。東大和リトル、シニアから堀越高校を経て2000年ドラフト5位で大阪近鉄に入団。昨シーズンはプロ初勝利を挙げただけでなく、ペナントレース後半の苦しい時期、チームの救世主となる活躍を見せた。ちなみに小学校時代は西武ファンだったそう。 |
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