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【中日ドラゴンズ 久本祐一投手】
サヨナラエラーで初戦敗退。悔しくて泣きはらしのも今はいい思い出

久本祐一  小学校4年生の秋。4歳離れた弟の同級生に、大東リーグ・川西勇人監督の子どもさんがいて、それが縁で誘っていただいたのが入団のきっかけです。
 
 入団したときは投手兼外野手。当時から左ききで、チームは左投手が欲しかったのでしょう。僕が投手に抜擢されたのはそんな単純な理由だと思います。ストレートと変化球、打たせて取るピッチングが身上でした。

 月曜日の休みをのぞく毎日が練習。水曜日だけ、近くのグラウンドで。他の日は小さな小屋にネットを張っただけの設備でティーバッティングやシャドウ、ネットピッチングの練習。
 
 監督はとても熱心な方で練習も厳しかったのですが、練習が終わるととても優しくしてくれました。よくみんなで監督の家に泊まりに行ったり、食事に招待してくれたり。年に1回は、淡路島への旅行会もありました。練習以外のコミュニケーションの場が多かったため、みんな仲よしでチームの輪が強く、辛い練習も楽しく乗り越えることができました。
 
 当時の目標は選手権での優勝と全国大会出場でした。僕が中学1年のとき、関西で決勝進出。僕はエースナンバーをつけて先発したのですが、結果は1対0。ソロホームランを浴び負けてしまいました。2位まで全国大会に出場できるので、「自分のせいで負けた。全国大会では絶対に頑張ろう」と思って東京に出かけました。

 ところが、その全国大会で初戦敗退。しかも、僕のサヨナラエラーでした。延長戦で、ライトを守っていた僕が目測を誤り、後ろにそらしてしまったんです。このときは本当にショックで、翌日、目がバンパンに腫れるまで泣いたのを覚えています。
 
 それでも、うちのチーム創設以来、初めての全国大会出場。今も、僕らの代のメンバーはチームの歴史に残っています。サヨナラエラーも、今となってはいい思い出。監督初めリトルの仲間には、「オマエのせいで東京で負けたんや」と笑いながら言われます。
 
 僕は、大東リーグで野球の楽しさを教わりました。大好きな仲間たちと一緒にプレーする楽しさ。野球が好きなら、どんな辛いことも乗り越えられる。そこでの大舞台の経験は、大きな自信になりましたし、精神的にも強くなりました。「次は絶対に負けない」そんな思いが、後の野球へとつながりました。自分なりに楽しみながら頑張っていれば、野球は絶対に裏切らない。何かしらのいい答えを出してくれる。僕にとってはそれがプロという道でした。
 
 皆さんも、自分なりの夢を抱いて頑張ってください。

 久本祐一(ひさもと・ゆういち) 1979年3月14日生まれ。左投左打、投手。背番号19。相原高校から亜細亜大、河合楽器を経て01年ドラフト4巡目で中日に入団。今季開幕一軍は逃したが、4月28日の広島戦で、プロ初登板を経験。140キロを超えるキレのいい直球を武器に、これから一層の活躍が期待される。



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