【(株)エアープランツ・元陸上選手 小野直樹】
団体競技で味わう喜びは、駅伝もリトルリーグも同じです
父(信夫さん・現成田リーグ副会長)がフロントをやっていたもので、自然にグラウンドに遊びに行くようになり、そのまま入団しました。僕はおもにショートを守り、ときどきピッチャーもやっていましたが、とりたてて強くはなかったですね。
1回くらいは勝つけれど、強い相手にはほとんど勝てない。ほんと、中の中ぐらいのチームだったと思います。
中学でもシニアで野球を続けたんですが、シニアの野球は土日だけですよね。平日はなにをやろうかと考えましたが、中学の野球部は軟式でしょう。硬式と軟式を掛け持ちするわけにはいきませんから、野球をするときの役に立つだろうと、陸上部に入ったんです。少しは足が速かったですからね。ヤクルトの池山(隆寛)さんも、中学時代は陸上部なんですか? いえいえ、比べるのはおこがましいです(笑)。
この中学時代に、本職じゃなかったはずの陸上で、そこそこの成績を残しまして。種目は800mや3000mだったんですが、地域ではまあ上位に入っていました。
で、高校に進むときに考えたんですよ。僕は体も細かったし、同じチームや別のリーグにも、僕よりすごいヤツがいっぱいいる。たとえば、成田と交流のあった千葉市リーグには、1年下に小笠原道大(現日本ハム)がいました。体は小さいけど、当時からやけにヒットをよく打っていたんですよ。高校でも野球をやりたい、という気がないことはなかったんですが、結局陸上をやろうと選択しました。
高校では、野球のグラウンドと陸上のトラックが隣接していまして、陸上の練習も厳しかったですけど、ハタで見ると野球部の練習のほうがキツそうでした(笑)。たまたま、3年のときインターハイに出場できたんですが、同じ年に、成田高校というところが甲子園に出ているんです。そのときのキャッチャーが、リトル時代の友だちでね。ああ、アイツもがんばってるな…と思うとうれしかったですね。
僕は技術的なことはあまりわかりませんけど、いまの小学生というのは、団体で動く機会というのがあまりないでしょう。その点では、リトルリーグって団体行動が基本じゃないですか。協調性とか、人への思いやりとかが自然と身につくと思うんです。それと、全員で試合に勝つたりしたときの満足感がすばらしい。 陸上でも、個人種目に勝つのもうれしいですが、駅伝という団体種目でいい結果が出たとき、全員で喜べるのがなんともいえず気持ちがいいんですよ。
| おの・なおき 1972年4月9日生まれ。成田リトルリーグ、成田シニアで野球をやりながら、成田中台中で陸上部に所属。八千代松陰高では本格的に陸上に取り組む。3000メートル障害でインターハイに出場し、東海大進学後は2年時から箱根駅伝に出場した。富士通の社会人時代も、全日本実業団駅伝で活躍。26歳で一線から退き、00年、生来の車好きを生かして自動車部品を扱う現職に。 |
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