【リトルリーグ東京連盟審判員 菊地長さん】
審判の道を極めたい…目標は年間100試合ジャッジ
なんでも、リトルリーグ出身者がリトルリーグの審判員を務めるのは、自分が初めてらしいですね。僕が在籍したのは世田谷リトルリーグ。当時はとにかく人数が多く、150人くらいいたでしょうか。ふだんのユニフォームは青が基調なんですが、レギュラーになると赤いユニフォームなんです。公式戦では2回も勝てばいいほう、というチームでしたけど、自分はなんとか赤いユニフォームを着ることができました。
審判をはじめたのは、20歳のときです。指導者になりたくて、大学で教職課程を取っていたんですが、審判を経験しておけば指導者としても役に立つだろうと、まずは都の高野連で見習いを始めた。そこで出会ったのが、青木(リトルリーグ委員会審判部)部長です。審判のイロハから、みっちりと仕込まれました。
それから15年、高校野球、大学野球と審判をしてきまして、「リトルリーグも手伝ってくれないか」とお誘いを受けました。これは自分の勉強にもなりますから、「ぜひやらせてください」と、去年からお世話になっているわけです。
審判をやっていると、高校野球で出会った選手に、大学野球で再会することがよくあるんです。リトルリーグの審判を始めたら、いずれはその子たちと高校、大学でまた出会うこともあるわけで、それを思うといまから楽しみなんですよ。
ただ高校、大学と審判をやってきて、リトルリーグが一番むずかしい。グラウンドが小さいからスピード感が違うし、特有のルールもありますから。ですが、野球に取り組む純粋さを一番感じるのもリトルです。子どもたちの姿を見ていると、自分のころを思い出して、つい胸がふるえてしまうこともありますね。選手としては、全国大会など夢のまた夢だった自分が、全国という舞台に立てたのも、審判をやったおかげだと思っています。
審判というのは、やればやるほど奥が深く、むずかしい。でも、えらそうな言い方になりますが、だからこそ審判というものをいつか極めてみたい。それには、とにかく現場を経験することです。ですからリトル、高校、大学、オープン戦を含め、年問100試合審判を務めるのがいまの目標です。
去年ですか?98試合でした……(笑)。
〔写真右:リトルリーグ東京連盟審判員を務める菊地さん。同左:今もグラウンドで一緒…。世田谷リトルリーグの後輩たちに囲まれる菊地さん〕
| 菊地 長(きくち・たける) 1969年4月15日東京生まれ。小学校3年で世田谷リトルリーグに入団し、同シニアまで。東農大一高を経て、東農大時代に審判を始める。高校、大学野球と豊富な経験を積み、02年からリトルリーグ審判員に。リトルリーグ出身者としては初。(株)テプコシステムズ勤務。「リトルリーガーたちには、元気よく挨拶ができる子になってほしい」。 |
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