【ヤクルトスワローズ 土橋勝征内野手】
要所要所でヒントをくれた父
小学2年生のとき、船橋リーグに入団しました。近所で野球のうまい人がみんなリトルリーグに入っていたので、「俺も入りたい」と、テストを受けに行ったように記憶しています。
小4か小5のころ、父が僕らのチームのコーチになりました。その後、父に直接指導を受けたこともあったのですが、まったくといっていいほど父を意識することはありませんでしたね。父はスパルタ系ではなく、あまり口に出さないタイプ。それでも家で一切野球のことを口にしないというのでもなく、要所要所では話をしてくれました。たとえばバッティングの調子が悪くなったら、「構えがこうなっているよ」など、ヒントをくれるんです。
親子べったりの関係でもなく、親子鷹みたいな感じでもなく、かといって、「グラウンドに出たら、他人だぞ。親子じゃねえぞ」なんていうわけでもない。そんなスタンスがよかったのか、父に対し、一度も反発を覚えたことはありませんでした。
当時は船橋リーグの全盛期と言われた時代で、人数も多ければ、練習も厳しかった。辞める人も結構いたんです。特に下のクラスのころは毎日走れ、走れで、僕も「辞めたい」と思ったことはありました。
あと、これは笑い話ですけど、船橋リーグには僕と同じ小学校のチームメイトが少なかったので、日曜の試合で活躍しても、次の日学校に行くと、僕が活躍したことを誰も知らないんです。ほかの学校だとそういう話で盛り上がっていたようですけど、僕のところは自分から言わないとまったく出てこない。それこそ同じ町内の軟式野球大会の話題のほうが盛り上がっていて、「軟式やろうかな」「あっちのほうがいいな」と思ったりもしたものでした。
81年には、センバツで準優勝。でも、一番の思い出はみんなと遠征に行くときの車中ですね。誰かの保護者の運転するワンボックスカーに分乗し、鹿嶋や水戸、常陸太田などあちこちへ。本当に、ドライブ感覚でした。日曜の午前中、ラジオでは歌謡曲のランキング番組が流れていました。松山千春とか、矢沢永吉とか、今でも歌を聴くたびあのころのことを思い出します。
最後に、リーガーのお母さん方へ。泥んこになって一生懸命やって、家に帰ったとき、決して「洗うのが大変だから、汚してこないでよ!」なんて言わないであげてくださいね。「よく汚して帰ってきたわねえ」「洗いがいがあるわ」くらいのノリがあれば、子どもさんはもっともっと頑張れますよ!
| ■どばし・かつゆき 1968年12月5日、千葉県生まれ。印旛高校から87年ドラフト2位でヤクルト入団。179cm83kg。背番号5。右投右打の内野手。01年オフの左かかとの手術から、今季は完全復活した。船橋リーグ、ナショナル時代はピッチャーで四番。「投げてみないと、どこに行くか分からないタイブ。当時は休も大きくて、肥満体用じゃないと洋服も入らなかった。ご飯もよく食べていましたね」。
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