【日本ハムファイターズ 上田佳範外野手】
全日本は予選がいい思い出
小さいころ、3つ上の兄やその友達と、学校の校庭で、放課後よく野球をして遊んでいたんです。その友達に誘われてリトルに入ったのが、小2の5月。信越連盟・松本北リーグに所属する、「城東フェニックス」というチームでした。
ポジションは、主にショートとピッチャー。4年生ごろからレギュラー組の試合に出るようになりました。松本北は城東フェニックスのほか、中央スターズ、島内白板ペアーズという2チームがあり、計3チームでリーグ戦を行うんです。
優勝チームの監督が、その年の「松本北リーグ」の監督を務め、3チームの中から選手を選抜して、代表チームを編成するという仕組み。このリーグ戦が、まず結構熱い戦いでした。優勝チームが主体となって、主力選手を選ぶことになりますからね。といっても、僕ら選手よりは、むしろ監督や父兄のほうが熱くなる傾向にありましたけど(笑)。
僕は「松本北リーグ」では、ショートとレフト、そしてピッチャーをやりました。小6のとき、全日本選手権に出場し、1回戦、長崎東戦に投げて勝利。2回戦で、小笠原(現日本ハム)がいた千葉西に負けました。
全国は大きな思い出ですが、そこまでの予選も印象に残っていますね。うちは中南信ブロックを、2年連続14勝1敗ずつぐらいで勝ち進んでいたんですが、その1敗が必ず僕で、相手は豊科。ほかのチーム相手にはコールド勝ちまでしているのに、僕は豊科に投げて1度も勝てなかった。
試合や練習の行き帰りも、楽しかった思い出の一つです。飯田、駒ケ根、長野…と、試合のたび朝早くから親が運転する車で出かけていきました。土日にお弁当を作って、送り迎えをして、と親もさぞ大変だったかと思います。そのお陰で、僕ら野球を続けることができたんですね。
うちの両親も、よく「親が一生懸命になってほしい」と言っています。仕事の都合などいろいろあるでしょうが、時間が空いたら少しでも野球を観に行ってくれれば……送り迎えだけでも、「頑張っておいで」とひと言あれば、子どもも頑張れるんですよね。
リーガーたちには、とにかく楽しく野球をやってほしいと思います。友達がたくさんできるよう。僕もそうだったんですが、高校になって同じチームになるかもしれないし、対戦相手になるかもしれないし、あるいはプロになって巡りあえるかもしれないし。もっとも僕、小笠原と全国で対戦していたなんて、つい何年か前まで気づかずにいたんですけどね(笑)。
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■上田佳範(うえだ・よしのり) 1973年11月18日、長野県生まれ。松商学園高校では3年の春夏、エースとして甲子園に出場。春は準優勝に輝いた。92年ドラフト1位で日本ハムに入団。93年シーズン途中、外野手に転向。強肩を生かした守備センスと、頼れるバッティングで外野の一角を争う。188cm、89kg。右投左打
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