【横浜ベイスターズ 種田 仁内野手】
夏休みのキャンプに行きたいがために入部したリトルが、いつしか楽しくなり…
兄が所属していた『八尾北』 (現『大阪八尾』) リーグでは、夏休み、2泊3日のキャンプ (もちろん子どもなので、遊びのキャンプです!)が恒例でした。僕は兄貴にくっついて何度か参加させてもらっていたのですが、小2の夏休み前、オヤジがいきなり「チームに入れへんかったら、連れていかれへん」と言うんです。オヤジは元八尾北の監督で、当時は役員。僕は、初めは嫌がっていたのですが、キャンプ1週間前、ついに折れてリトルに入団しました。
キャンプに行きたくて入団したのですから、キャンプが終わってしまえばモチベーションはなえっぱなし(笑)。常に「帰る」と言っていました。練習はきつくはなかったのですが、野球自体、なかなか好きになれなかったんですね。
野球を好きになったのは、ゲームに出だしてからだったと思います。3年か4年でBチームに上がり、5年のときにはAチームでプレーしていました。そのときは、プロ野球選手への憧れなどもなく、ただただ野球が楽しかった。仲間もできて、みんなと勝って喜んだりするのが、楽しかったんです。
一番の思い出は、小6のとき、長野で行われた全国選抜大会に出場したこと。優勝したことよりも、黒部ダムや善光寺に行ったのが楽しかったですね。今日本ハムにいる岩本勉が、エース格。僕、通称「ヒトシ」は、“チョロチョロしている”のが特徴の選手で、主にセカンドを守り、打順は一番、三番・・・。身長150センチないぐらいで、チームの中では小さなほうでした。練習でもほとんどさく越えはなく、リトル時代は3本ぐらいしかホームランを打っていないと思いますよ。
バッティングフォームは、もちろん今のような“ガニマタ打法”ではありませんでした。誰に教えられたわけでもなく、自然とでき上がったフォームでした。小学校時代は、フォームは好きにさせてもいいんじやないかと思いますね。“ガニマタ打法”でも、その子に合えば問題ない(笑)。いじるのは、高校生ぐらいになってからでもいいんじゃないか、と。
何より、子どもたちには楽しく野球をやつてもらいたいですね。苦しいだけだったら、別のことを探したほうがいい。苦しい中にも楽しさがあればいいのですが、苦しいだけなら、自分のもっとやりたいことをやったほうがいいでしょう。無理やりやってもうまくはならないし、成長もないですよ
| ■種田仁(たねだ・ひとし) 1971年7月18日、大阪府生まれ。八尾北リーグから東住吉シニアを経て、上宮高校へ。2年の春、3年の春夏甲子園に出場した。90年ドラフト6位で中日に入団、01年シーズン途中に横浜に移簿。今季は8月29日現在、71試合に出場、打率.298と3割間近。173cm80kg、右投右打。背番号12。 |
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