【広島東洋カープ 河内 貴哉投手
「頑張れば結果がでる」喜びを知った“たった9カ月のリトル時代”
僕は小学校のスポーツ少年団で軟式野球をやっていました。進学した中学に野球部がなかったため、両親がタウンページでチームを探してくれたのが、家の近くの「杉並リトルシニア」でした。ところが、僕は1月生まれ。13歳
になるまでの9カ月、また硬式の野球に慣れるためにも、同じ「杉並リトルリーグ」に入ることになったのです。
もともと、硬式、軟式、どちらをやりたいというこだわりはありませんでした。たまたま小学校にあったのが軟式野球部。小さい頃から社宅の友達と『燃えろプロ野球』というファミコンをするのが大好きで、よく友達や父と一緒に本物のキャッチボールでも遊んでいました。打つ、投げる、走る。試合に勝つ喜び。中学に野球部がないと知っても、野球を辞めようとは思わなかったのは、本当に野球が好きだったからだと思います。
杉並リーグは実は東京でも有名な強豪チーム。そうと知らずに入った僕は、そのレベルの高さと、初めての硬球に戸惑いました。球の弾み方一つとっても違う。打っても手がしびれて痛い。キャッチボールもワンバウンドになる。下手クソな自分が悔しくて、よく練習が終わってから家や公園で、父と硬球のゴロを捕る練習や、打つ練習をしました。シニアになれば、もっといい選手がたくさんいる。リトルの中でレギュラーにならなければ。そう思ってやっていま
した。
その甲斐あってか、すぐにエースに。軟式よりもマウンドまでの距離が近いし、変化球を覚えて投球の幅が広がったことで、打たれる気がしませんでした。硬球に慣れるごとにその楽しさがわかってきて、さらに野球が好きになっていく自分がいました。全日本大会出場でベスト4。続く選抜大会では全国制覇。全国で野球をする楽しさもリトルで知りました。
たった9カ月でしたが、リトルで硬球を経験したおかげで、シニアにもすぐに慣れることができました。軟式から、硬式へ。そしてリトルとの出会い。野球を楽しむという気持ちは変わりません。野球への好きな気持ちを、どうやって伸ばしていくのか。自分で選んだ道を一生懸命頑張ってください。おのずと結果は見えてくるはずです。
| ■河内 貴哉(かわうち・たかや) 1982年1月6日京都府生まれ。左投左打。186cm、 85kg。国学院久我山高では3年夏、西東京大会25イニング連続無失点も、決勝敗退。高校ナンバーワン投手として00年ドラフトを賑わせ、広島の1位指名を受けた。150kmの速球とスライダーが武器。将来のエース候補として期待。 |
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