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【阪神タイガース 吉野 誠投手】
野球を続けてこられたのはリトル時代に野球の楽しさを教えてもらったおかげ

阪神タイガース・吉野誠 投手 昨シーズン、18年ぶりのセ・リーグ優勝を果たした阪神で、中継ぎをして開幕からずっと一軍のブルペンを守り続けた吉野投手。左のサイドスローという特長を生かした“左キラー”ぶりで、福岡ダイエーとの日本シリーズでも、左の強打者をバッタバッタと空振り三振にとってきりました。そんな吉野投手の“原点”は、リトルリーグ。みなさんと同じように、たくさんの仲間と野球を楽しんだあの日から、現在への道のりがスタートしたのです。

★全日本に出場、でも自分のせいで

 僕が小学校2年のとき、母親がママさんソフトボールのチームに入り、そこでチームメイトになった友人のご主人が大宮スワローズ(北開東連盟・大宮リーグ)の関係者だったため、両親から「やってみないか」と誘われたのが、野球を始めたきっかけでした。スワローズには小学校4年生までの選手が入る“マイナー”と5年生以上がプレーする“メジャー”の2チームがあって、確か僕の背番号が50番台だったと思うので、当時は50人以上の選手が所属していたように記憶しています。

 練習は「楽しかった」という印象が強いですね。最初はあの硬いボールが怖くて仕方なかったんですけど、徐々に慣れて、それからは友達と一緒にボールを追うのが最大の楽しみでした。しんどい練習もあったのかもしれないけれど、あまり覚えていないんですよね。きっと厳しい練習を忘れるくらい、楽しい思い出のほうがたくさんあったのだと思います。学区外からも選手が集まっているチームでしたから、違う学枚の友達も大勢できました。

 マイナーチームで最初に守ったポジションは外野でした。コーチに勧められて、3年生から投手をやるようになりました。大宮には当時から8つのチームがあって、各チームから選抜された選手が、『オール大宮』として全国大会に出場しています。僕も小学校5年のときにマイナーの選抜、中学1年のときにメジャーの選抜でオール大宮に選ばれました。

 オール大宮のユニフォームを着ることは、大宮でリトルのチームに入っている選手にとっては憧れであり、誇りなんです。全国大会という大舞台に出場できるのも嬉しかったし、そうやって選抜チームで、いつもと違うメンバーと野球ができたのも楽しく、いい経験になつたと思います。中には今でも連絡を取る友達もいて「今度、実家に帰ったときには会おう」と約束をしています。現在、西武ライオンズでプレーしている大島裕行君も同じオール大宮出身。僕の弟は、大島君といっしょにプレーした経験もあるんですよ。

 リトル時代でいちばん印象に残っている試合は、1990年、第24回全日本選手権大会の準決勝ですね。秦野と対戦して、サヨナラ(2対3)で敗れた試合です。秦野のエースは、今、巨人でがんばっている原俊介君でした。6回の裏、ライトを守っていた僕のところへヒットが飛んできて、セカンドから進塁しょうとしたランナーを刺そうと投げたボールが悪送球になり、サヨナラ負けを喫してしまいました。

 「自分のせいで負けた」と思うと悔しかったし、チームメイトにも申し訳なかったですね。その試合に勝って決勝に進み、優勝をすれば極東大会へ行けたし、そこで勝てば世界大会に出場することができたのに…。当時の最大の目標は世界大会に出場することでしたから、準決勝で負けたことで、その夢も途絶えてしまったんですよね。

★リトルでもプロでも悔しさが次へのバネに

 子どものころは、テレビの巨人戦中継に熱中していました。多くの子どもたちが憧れるように、僕も「プロ野球選手になりたい」という夢を思い描いていましたね。でも当時の僕は体もそれほど大きくなかったし (中1で150センチ、42キロ)、運動神経も人並みで、まさかその後、本当にこうしてプロ野球選手になるとは思ってもいませんでした。

 夢を叶えることができたのは、ずっと野球を続けてきた成果だと思っていますし、それはリトルリーグ時代に「野球は楽しいものだ」という気持ちを指導者の方々に植え付けてもらったおかげだと感謝しています。厳しすぎて「つまらない」と感じたら、途中で辞めてしまったかもしれませんからね。ですから、指導者のかたにお願いがあるんです。子どもたちを指導するのはとても大変な作業だと思います。でも、どうか「野球は楽しいものだ」という気持ちで選手たちが取り組めるような環境を整えていただきたいと思います。

 プロとして野球にかかわるようになった今でも、大宮スワローズの選手たちの活躍は気になります。父親が現在、大宮スワローズの監督をしていることもあって、オフには納会に参加したり、野球道具を寄付させてもらったりしています。

 人前でしゃべるのが苦手な僕ですが(笑)、納会ではみんなのために一生懸命話をしています。「これからも野球を続けてくださいね」と話しています。最近は、少子化の影響で選手が集まり難いと聞きます。リトルリーグのチームが減ってしまうのは淋しいし、これからもより多くの子どもたちに野球の楽しさを知ってほしいと思っていますから、僕にできることがあれば、これからもリトル野球の発展のために協力したいと思っています。

 「負けて悔しい」という気持ちを次につなげることで、より強いカを身につけることができると僕は考えています。僕自身、リトルの全国大会で敗れて悔しかったからこそ中学、高校で更に上を目指そうという目標を持つことができました。高校時代は甲子園に出場できなかったけれど、その悔しさが大学では厳しい練習に耐えられるカになりました。そうやって「次こそは」と悔しさをぶつける方法をリトル時代に学んだ気がします。

 昨年、ペナントレースでリーグ優勝を経験し、残念ながら日本一は逃しましたが、この悔しさが今後も僕を揺り動かし続けるカになると信じています。

 今、リトルでがんばっている子どもたちには、とにかく「楽しく」野球をやってほしいですね。野球をもっと好きになってください。野球に一生懸命に打ち込んだ経験は、その後の人生に必ず役立つはずですから。

吉野 誠(よしの・まこと) 1977年11月19日生まれ。左投左打。埼玉県さいたま市出身。大宮スワローズ、オール大宮で活躍後、大宮東高から日大へ進み2000年ドラフト2位で阪神に入団。03年は56試合に登板、1勝1敗OS、防御率3.27でリーグ優勝に貢献。日本シリーズではロングリリーフで大活躍を見せた。

★父が語る、わが息子

吉野稔さん[大宮スワローズ監督]


 全国大会で敗れたときの悔しそうな様子が忘れられません

 妻と私の勧めで大宮スワローズに入団しましたが、最初のころは嫌だったようで、妻の話によればよくお腹を壊して練習を休んでいたそうです。それが2年、3年と続けるうちにどんどん野球を好きになり、自ら進んでグラウンドヘ行くようになりました。我が家には誠を含め3人の兄弟がいますが、みんな野球と出合ったおかげで脇道にそれることもなく、元気に健康に育ってくれました。

 野球というのは社会のルールや礼儀、人への思いやりを教えてくれる素晴らしいスポーツなのだと実感しています。

 子どものころの誠について、いちばん印象に残っているのはバントが上手だったことですね。親バカかもしれませんが、プロになった今でも打席に入る機会があれば、きっと他の選手より巧いバントを見せてくれるんじゃないかと思っています(笑)。

 それから、オール大宮の一員として全日本に出場し、準決勝で敗れたときの悔しそうな表情は今でも忘れられませんね。プロ野球選手になって忙しい毎日を送っているようで、なかなかじっくりと話をする時間はありませんが、家族揃って息子の活躍を見守っています。



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