【元横浜ベイスターズ投手・中野渡 進さん】
野球は親父との闘いの場。それだけに、ほめられたときのうれしさは人一倍でした
「リトルに行くぞ!」
家に帰ってきた親父が突然言いました。小学校2年生から地元の軟式野球チームで野球を始め、小4のときのこと。親父が見つけてきた小平リーグへ入団しました。野球を始めたのも、リトルに入ったのも、熱心な親父の一言。僕にとって、小さいころの野球は親父にやらされていた、という感じ。正直、楽しいと思ったことは一度もありませんでした。
リトルの試合でエラーをすると、すぐに親父に怒られます。試合中に隣の体育館で怒られてベソをかきながら戻ったこともありました。僕のリトルでの野球は、うまくなろう、というよりも、親父に怒られないようにいいプレーをしたい。野球は親父との闘いの場でした。
それだけに、いいプレーをしてほめられたときはうれしいものです。ただ、厳格な親父は決して言葉ではほめてくれません。無言でグロープを買ってくるなど、態度で表してくれました。子ども心にも、また次頑張ろう、と思ったものです。
リトルの練習は水、土、日の週に3回。それ以外の曜日は、毎日親父の言いつけで、弟と近くの公園で練習です。キャッチボール、ティー、そしてランニング。家に帰るのはいつも夜の8時でした。時には、疲れて最後のランニングをサボって家に帰るのですが、汗のかき具合で走ったかどうかがバレてしまう。そこで、頭から水をかぶって、汗とごまかして家に帰ったこともありました。そんなとき、必ず味方についてくれたのが母。
「お父さん、今日もちゃんと走っていたわよ」。その一言が、厳しい野球の毎日の中での救いでした。
今、振り返ればリトルで硬球を早い時期に握ってよかったと思います。感覚が手に残っていて、その後、高校で硬球を握ったときも、他の選手よりも慣れが早かった。リトルでの経験が、後の野球へとつながり父には感謝の気持ちでいっぱいです。
今、リトルで頑張っている選手の皆さん。時には失敗したり、怒られたりすることもあるでしょう。それにも負けずに頑張った分、成功した時の喜びは倍になって返ってきます。そのためにも、今をただ、一生懸命頑張ってください。
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中野渡 進(なかのわたり・すすむ) 1976年9月17日、東京都生まれ。右投右打。192cm、92kg。東海大菅生高から三菱自動車川崎を経て2000年ドラフト7位で横浜入団。プロ2年目の01年に63試合で5勝1敗、防御率2.61と中継ぎエースとしてフル回転。オフには台湾で行われたW杯日本代表にも選ばれた。しかし、登板過多から右ひじを故障。03年同球団を退団とともに、プロ野球界から引退。
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