【元読売ジャイアンツ内野手・上福本勤さん】
常勝・調布の連覇がストップ!憧れの「JAPAN」を横目に卒団
リトル時代の練習は、とにかくきつかった思い出しかありません。今までリトル、シニア、高校、プロ野球とやってきましたが、一番きつかったのはリトルとシニアでしたよ(笑)。学校が終わって電車でグラウンドに行き、グラウンドでの練習後には、レギュラーのみ室内練習場で夜の7時くらいまで続きをやるんです。月曜以外は毎日練習でした。
僕は、もともとバッティングより守備のほうが好きだったんです。ふつう子どもって、バッティングの時間が一番好きなんですけど、僕は逆。ノックの時間が大好きだった。バッティングは練習でも、よく怒られていたんですよ。居残りでも打たされましたし。だから、キライになったのかなあ(笑)。プロも、どちらかといえば守備のほうを評価されて入ったんですから。
それにしても、あのときの調布は特別でした。76年に津村潔さん(元日本ハム)、荒木大輔さん(元ヤクルトほか)らが世界一。次の年も日本一で、71年以来の7連覇(8度目の優勝)を果たしていました。
だから、僕らもてっきり日本一になれると思っていた。それが77年、新チームになってすぐの秋季関東大会決勝で狛江に2対11でまさかの敗戦。それまで練習試合でも負けたことがなく、みんな悔しくてワンワン泣きました。
どうしても優勝したかった78年春の関東大会は、決勝戦も東大和に29対7で圧勝。僕も九番で5打数4安打1打点でした。これだったら夏もいけるのかな、と思っていたら、予選の関東大会3回戦で、下馬評の特に高くなかった新宿に2対6で負けてしまったんです。
最終回、バッターボックスに立って、僕は泣きながら打ちました。本当に終わっちゃうのかな、と思って。一度でいいから、あの「JAPAN」のユニフォームを着てみたかった。先輩たちが、リトルを卒団してシニアに行くまでの間、練習を手伝いに来るとき決まって「JAPAN」の赤い帽子やアンダーシャツを着てくるんです。あれが、どうしてもやりたかった!(笑)
僕らの年は、尼崎北が極東選手権に行ったんですよ。それで、極東大会に行く前かあとか、尼北が関東村で練習をしたんです。池山(隆寛=元ヤクルト)もいてね。みんな、「JAPAN」のユニフォームを着ている。ショックでしたね。目の前で見せ付けられて。
僕の同期は、僕を含めて4人(武田一浩、板倉賢司、竹内史英)プロに入っている。戦力的にも結構よかったんですけどねえ。リトルで夏、負けたので、シニアでは絶対日本一になろうと心に誓いました。
そのとおり、念願の日本一に輝いたのは、3年後の夏のことでした。
上福元 勤(かみふくもと・つとむ)
1966年1月4日、東京生まれ。小4のとき、調布リトルに入団。調布シニアを経て、早稲田実業高から84年、ドラフト6位で巨人入団。3年間の在籍中、イースタン・リーグで60試合に出場。打率.222.この4月に小3になる息子さんも、調布リーグに在籍している。 |
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