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【中日ドラゴンズ 堂上 剛裕内野手】
野球人生の基盤を作ってくれたリトルが僕の原点です

中日・堂上内野手  僕は小学校の1年から4年まで町内のソフトボールチームに入いました。ちょうどそのころ、家の近くの河川敷を通ると、いつも野球の練習をしているチームがありました。とても厳しそうな練習で、監督らしき人が打っているノックもめちゃくちゃ速くて怖い。「これは小学生のやる野球じゃない、絶対に入りたくない!」そう思っていました。ところが、小学校4年になって、リトルリーグに入ろう、と両親に連れていってもらったのがこのチーム。名古屋北リーグでした。でも、いざ入団すると、監督はじめ、チームメートもいい人ばかり。すぐになじんで、いつの間にか、練習に行くのが楽しみになっていました。

 予想どおり、練習はとにかくきつかった!

 低学年のBチームは土日。高学年のAチームは水、木、土日。土日は、朝7時30分に集合し、終わるのは夜8時。1日中練習でした。専用グラウンドは2面あり、トレーニング用の器具も揃っていました。今でも覚えているんですが、ノックのボールが、「シュー」って音をたてて飛んでくるんです。怖くて逃げてしまうんですが、すぐに監督から「逃げるなー!!」と怒鳴られる。打球に飛び込むことも多く、いつもユニフォームは真っ黒。泥だらけでした。

 でも、リトルで学んだことはとにかく多く、その後の野球人生の基盤を作ってくれました。監督さんがものすごく熱心な方で、この時期にバッティングも守備も、野球の基本的な技術から理論を学ぶことができ、中学、高校でも生かすことができました。たとえばバッティングの細かい説明があっても、リトルで理論を教わっていたから、すぐに理解することができる。メンタル・トレーニングもとり入れていて、そのせいか、試合では当時から全然緊張しませんでした。

 技術の基本もそう。僕は、ヒジが下がっていて投げ方が悪かったんですね。それで監督が、僕の腕をガムテープでぐるぐる巻きに固定して、練習をしたことがあります。このような厳しい練習で「練習して当たり前」そして、「くじけない」精神も学びました。

 僕が、高校野球で甲子園出場、そしてプロに入ることができたのは、リトルのおかげだと思っています。リトルが僕の原点です。全国のリーガーたち、リトルでプレーする年は、一番伸びる時期です。しっかり練習して、頑張ってください。

堂上 剛裕(どのうえ・たけひろ)
 1985年5月27日、愛知県生まれ。右投げ左打ち。181cm、88kg。愛工大名電高から、2004年ドラフト6巡目で中日入団。高校通算46本塁打のパワフルな打撃が魅力。高校時代は、2年春、3年春、夏の甲子園出場。父照さんは、元プロ野球選手で、現在は中日球団の選手寮の館長を務めている。背番号63


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