【杉並リーグOB 西武ライオンズ・河田雄祐コーチ】
思い出の極東大会、父親が知らないうちに台湾にきていた
 80年、全国選抜大会で準優勝。JAPANのユニフォームが 誇らしい。賞状を持っているのが本人 |
思い出というと、80年、台湾での極東大会に行ったことですね。東京大会の準決勝で初めて調布に勝って、全日本選手権も優勝。だけど極東では韓国に負け、むちゃくちゃ強かった台湾に負けて、世界大会へは行けませんでした。ただ試合の内容より、へんなことを覚えていますね。試合のあと、観客席に挨拶して上を見たら、いきなりオヤジがいたんですよ。それまで試合なんか見たことのなかった父親が、知らないうちに台湾にきていた(笑)。あとは「生水には気をつけるように」といわれながら、「大丈夫だよ」なんてかまわずに、ホテルの水道水を飲んでも平気だったり。
家の近くに杉並のグラウンドがあって、4歳上の兄がやっているのを見に行ったのが入団のきかっけでした。小学校3年で、まだキャッチボールもろくにできませんでしたから、親には止められましたけど。ただ、運動神経では誰にも負けない自信があったので、さほど努力しなくてもなんでもできちゃいましたね。マイナーからオールスターに上がるときには、レギュラーだったと思います。人よりも練習しなきゃ勝てない、と思ったのはプロに入ってから(笑)。だから、練習は厳しかったでしょうけど、グラウンドに行くのが待ち遠しかったですよ。ホントに野球が好きだった。好きこそものの上手、ということですね。それと、監督さんの教え方もよかったと思っています。
いま、野球教室などで指導者講習をやるんですが、子どもたちを教える以上は責任を持ってほしいですね。技術にしてもルールにしても、不勉強な方が多い。また、ユニフォームの着こなしもだらしなくて、「ああ、こういう人に教わる子どもは不幸だな」と思ってしまいます。小学校6年の息子が、いま軟式野球をやっているんですよ。実にいい指導をしてくれていました。挨拶からきちんと教え、怒るべきところは子どもを怒鳴り、安心して任せられるんです。親が、子どもに教えられることなんて、ほんの少しじゃないですか。他人から学ぶんです。その点では、親御さんが指導者を選んであげたいですね。
子どもには、こちらからは野球の話を切り出しません。結果が悪いときは話しにくいでしょうから、無理やり聞かない。せいぜい「今日は勝った?」くらいですね。そこで結果がよければ、ほっといても自分から話したがりますよ。子どものころって、楽しくなければ続かないでしょう。いかに楽しくさせるか。それが大人の役割です。
河田 雄祐(かわだ・ゆうすけ)
1967年12月22日生まれ、東京都出身。帝京高校時代の85年、センター・主将でセンバツに出場し、渡辺智男(のち西武など)の伊野商に敗れるが準優勝。俊足・巧打の外野手として86年、ドラフト3位で広島に入団。96年に西武に移り、02年引退。現在、二軍守備走塁コーチを務める。 |
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