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【兵庫播磨リーグOB 横浜・七野智秀内野手】
振りこみで手にはいつもマメ。塗った赤チンでバットは真っ赤。
それでも、野球が好きな気持ちは変わらなかった

 小さくて硬い球が、カキーンと心地よい音を立てて遠くに飛んでいく。「気持ちよさそうだなぁ」。僕がリトルの硬球の野球を見て、最初に感じたことです。小学校1年のときは、近所にリトルのチームがなくて、ソフトボールをやっていました。2年で兵庫県加古川市に引っ越し。父が電話帳でチームを探してくれました。それが兵庫播磨でした。

 小さいころから他の子どもよりもひと回り体が大きく、パワーも人一倍ありました。最初は右打ちだったのですが、4年生のとき、監督に「上のレベルで野球をするんだったら、左打ちがいいぞ」と言われたんです。当時、よくテレビで野球中継を見ては、門田博光選手(南海ほか)、ラルフ・プライアント選手(近鉄)など、左の強打者のバッティングを真似て遊んでいたのです。そのおかげか、器用に左右で打つことができました。でも、右は飛距離はあるが租っぽい。左はミート中心に安定して打てる。監督のアドバイスで、5年生の中ごろに左打ち一本にしました。

 チームのエースで四番。地元では強くて優勝できるのですが、全国に行くと通用しない。ほとんどが初戦敗退、というチームでした。そんな中、今でも覚えているのは、関西連盟大会のベスト16。大阪城公園野球場での試合で、逆転満塁ホームランを打ったんです。その打球は、ライトスタンドの上を越えて、隣の大阪城の外掘に入りました。これは大会記録でした。

 リトルの練習は走りこみがキツく、下半身を中心によく鍛えられました。打者としてのパワーは、ネットを張った家の庭で毎晩2時間近く、父と2人でやったバッティ ング練習で身につきました。試合で打てなければ、2人で近くのグラウンドに行って練習する。毎日クタクタになるまでバットを振り続けました。手はマメだらけ。つぶ れてしまうので、赤チンを塗るんですが、僕はそれが嫌でよく泣きました。バットは赤チンで真っ赤。学校の鉄棒も、先生に言ってお休み。でも、どんなに辛い思いをし ても、決して野球をやめようとは思いませんでした。それは、何より野球が大好きだったから。友達と遊ぶよりも、父と野球をやっているほうが楽しかったんです。

 僕を左の強打者にしてくれたリトルの監督との出会い。そして、父との野球。リトル時代は、僕を現在のプロ野球界に導く貴重な時間でした。

七野智秀 七野 智秀(しちの・ともひで)
 1981年4月16日、兵庫県生まれ。PL学園高では3年春の選抜大会に四番・一塁手で出場。ベスト4入りを果たす。00年ドラフト6位で横浜入団。翌年から一軍も経験し、02年には初本塁打を記録。長打力をアピールし、一軍定着を狙う。181cm、90kg。右投左打。


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