【大東リーグOB 日本ハム・建山義紀投手】
母がウグイス嬢を務めた試合で公式戦初ホームラン!
たまたま家のポストに、大東リーグの入団テストのチラシが入っていたんですよ。小3の12月ごろだったかなあ……。それでとりあえず受けてみたら、遠投も走るのも、30人ぐらいいた中では結構成績が抜けていましてね。いい気になって、そのまま入ってしまいました(笑)。
今でこそ、大東リーグといえば全国区ですが、僕たちのころは、連盟大会の前の地区予選で1回勝ったら大喜び、というレベル。ただ、練習はきつかったな〜という印
象があります。ランニングや腹筋は、僕はあまり苦にならなかったんですよ。でも、守備練習−特にノックが大嫌いでね。ほとんどピッチャーだったんですが、内野も
兼任していたので、当然ノックに入らされますよね。正面からでも打球はキツイし、硬球だから当たると痛いし……。あれは、本当にイヤだった(笑)。
一番の思い出は、大会名は忘れてしまいましたが、6年のとき、当時とても強かった摂津リーグに、7対6でサヨナラ勝ちしたことです。僕が6年生にして初めてホー
ムランを打った試合でしたし、なおかつピッチャーとして完投もしたので、うれしかったですねえ。しかも、ちょうどうちの母が、その試合のウグイス嬢をしていたんで
すよ。僕は三番バッターでしたけど、練習でもあまりホームランは打ったことがなかった。だから、自分でも打ててピックリ、という感じでしたけどね。
ピッチャーとしては、コントロールはあまりよくなかったけど、中学まではカーブを投げるのが得意でした。よく曲がっていましたよ。でも、体も飛びぬけて大きいほ
うじゃなかったし、どうしてここ(プロ)まで来られたかというと、やはり技術練習より基礎体力を養う練習に、常に照準を置いてやっていたことが大きいんじゃないか
と思っています。
うちは、親父が 『巨人の星』の星一徹みたいな感じだったんですよ。だから、リトルのない日にも、毎日必ず何かしら練習をしていました。家の近くに大きな公園があったので、朝起きたらすぐランニング、それから親父の出勤前には、いっしょにキャッチボール。夕方、僕がひとりで壁にボールをぶつけて練習していると、ちょうど自転車通勤の親父が帰ってきて、素手でバシバシ、キャッチボールをしてくれました。腹筋も家で欠かさずやっていましたしね。
リトル世代のみんなには、よく食べて、よく練習する習慣を身につけていてほしいと思います。それは、今の僕にとっても必要な、基本的なことなんですよ。逆に言う
と、そういうことのできる選手が、将来プロ野球選手にもなっていくんじゃないかな。そこをしっかりやっておけば、そのあとにいろんなものがついてきてくれるんですよ。
建山 義紀(たてやま・よしのり)
1975年12月26日、大阪府生まれ。東海大仰星高から甲賀総合科学専門学校、松下電器を経て99年ドラフト2位で日本ハム入団。昨年は32試合に登板し2勝1敗15S、防御率2.17。今季も抑え役として期待がかかる。177cm、72kg。右投右打。背番号22。 |
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