【目黒西リーグOB/オリックス・平野恵一内野手】
体は小さくても、気持ちでは負けたくない! だから、人よりもたくさん練習しようと思っていた
父(晃二さん)が指導者をしていた影響もあり、小5で目黒西リトルリーグに入団。そのまま親子セットで(笑)リトルシニアに持ち上がりました。
今も「ガッツあふれるプレー」が身上ですが、当時から野球は技術じゃなくて気持ちなんだと思っていました。僕は体に恵まれなくて、他のリーグを見渡しても、一番小さいくらいだった。その中で闘っていくには、やはりハートが一番。気持ちの面では、負けてたまるかと常に思っていました。
リトルのころは毎日、一人で多摩川の土手を何キロも自転車で走って、練習しに行きましたね。高速道路の下に、壁のついたテニスコートの半面があったんです。そこに的もあったので、壁当てをしたり、スイングをしたり。夜になると、結構怖いんですよね。シーンとして、誰も通らなくて(笑)。でも、野球がうまくなりたかったから。他の選手はテレビを観ているかもしれないけど、俺は練習して、あいつらよりうまくなってやる、そういう気持ちがあったのがよかったのかもしれません。
僕は人に「練習しろ」といわれるのが一番イヤだったし、人にいわれてやってもうまくならないと思っていました。僕のそんな気持ちを知ってか、父は特に家では「練習しろ」とはいいませんでしたね。ただ、グラウンドに入ったら鬼≠ナした(笑)。
ノックのとき、「ハイ、サード!」ってふつうにコンッと打つのに、セカンドの僕のところになると、ガーンッとスゴイのが来る。親心が出てしまうのかもしれないけど、当時の僕はそれが許せなかった(笑)。
なのに、周りの選手は「いいな」っていうんですよ。「僕も恵一といっしょに強い打球を打ってください」って。「何いってんだろう、こいつら。俺に優しいノックしてくれよ」と思ってましたけど、考えてみれば向上心のあるチームだったんですね(笑)。
そのチームメイトとは、東東京大会に勝って、関東大会の2回戦まで行ったのが最高でしたが、あのときは楽しかったですね。実は僕、これまで野球をしていて、楽しいと思ったことはあまりないんですよ。うれしいとかよかったとか楽しいなって思うことは、一瞬。あとは、ほとんどがしんどいというか、キツイ。やはり体の大きな人たちの中でやるわけですからね。小さい選手って、どんな世界に行っても、上から見られている気がするんです。これが結構ストレスになるんですよ(笑)
ただ、それでもここまで続けているのは、やっぱり野球が楽しいから。やればやるだけ、いい思いがたくさんできるから。みんなもきっと、そうだと思いますよ。
平野 恵一(ひらの・けいいち)
1979年4月7日、神奈川県生まれ。桐蔭学園高3年のとき、夏の甲子園に出場したが2回戦敗退。東海大学では1年生からレギュラーで活躍し、02年自由枠でオリックスに入団した。今年はセカンドに定着し、走攻守でチームに貢献。169cm、63kg。右投左打。背番号9。 |
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