【調布リーグOB/林建設株式会社副社長・林清一さん】
日本選抜チームで世界大会に優勝! でも何よりの思い出は、5年生自らの足での選手集め
子どものころ、父(林和男さん=全日本リトル野球協会会長) の会社が硬式の社会人野球チームをもっていましてね。小1のころから、昼†休みぐらいになると「腹が痛い」と言って学校をサボっては試合についていくほどの、野球好きでした。
調布でリトルリーグを作る話が持ち上がったのは、小5のとき。だが、選手の集め方がわからない。私は私学に通っていたので、バウンダリー内に友達がほとんどいなかったんです。そこで、近所の同年代の子が遊んでいるところに飛び込んでいっては、「野球できる?」「野球のできる友達、紹介してよ」。「あいつは野球が好きだよ」なんて聞くと、すぐに誘いにいきました。
西東京大会直前に何とか11人集めて、『調布リーグ』として出場したのが、最初です。あのときの、試合ができる♀びといったら……。「今日はあいつどうした、来てねえぞ」と言うと、プールで泳いでたとか、いろいろありましたからねえ(笑)。
翌年、西東京の選抜チームで第1回全日本選手権に優勝。関西の選手を含めた日本選抜チームで、ウイリアムスポートの世界選手権に進みました。見るもの何でも初めてで、カルチャーショックだらけでしたね。
まず、あんなスタジアム、日本では考えられない。しかも、隣接する選手村からスタジアムに行くのに、サイン攻めで1時間もかかってしまうんです。選手村にはプールがあって、ほかの国の子はみんな泳いでる。当時は「肩を冷やしちゃいけないから」と、プール厳禁の時代ですよ。監督(父)がOKしたのが、日本選手では初めてじゃないかな(笑)。投球後、ひじを水で冷やすのも、子どものウエイト・トレも初めて見ました。日本人がアイシングを始めたのは、それから20年後のことですよ。
アメリカの選手は身長が180cmぐらいあって、打球も速かったですね。サードを守っていたんですけれども、今まで見たことのないような打球が飛んできました。それでも一戦一戦、あんな舞台で試合のできるのがうれしくて、楽しくて、気がついたら優勝。実はその決勝戦のとき、うっかりベルトを忘れて、グラウンドコートの紐で腰を縛っていたんです。バッターボックスに入ったとき、それがベローンと下がってきたのがテレビに映ったらしくてね、あとで一人、恥ずかしい思いをしました(笑)。
だけど、私にとってのリトル一番の思い出は、やはり最初の、人集めに尽きますね。5人しかいなくて「人数足りねえぞ、呼びに行ってこい!」なんて、しょっちゅう誰かが自転車を走らせていた(笑)。その2年後、調布リーグの選手が400人にもなるなんて、あのときは思いもしませんでした。
林 清一(はやし・せいいち)
早稲田実業高−早大−大昭和製紙で硬式野球部。現在本業のかたわら、日本野球連盟の「国際審判育成専門委員会」規則・審判専門委員会委員を務める。東京六大学野球などの審判員としてアマチュア野球を支えるほか、この8月にはアテネ五輪の審判員としてギリシャに派遣された。48歳。 |
|
|