【稲沢リーグOB/西武ライオンズ・高木浩之内野手】
体の大きい子には負けたくない! だから大きい子を打ち取るのが快感だった
父が野球好きだった影響でしょうか、ものごころついたときから野球が大好きで、小1のとき、稲沢リーグに入団しました。3、4年生で入るのが一般的だったのですが、「これだけ野球が好き
だったら、続けるだろう」と周りも思ったらしく、特別早く入団させてもらった形です。
当時練習は、土日と週に2回のナイター練習。最初のころは、若しかった記憶しかありません。なんせ、1年生が3、4年生の中に交じってやるわけですからね。しかも、入ってすぐの2、3カ月はボールを握らせてもらえず、ひたすら体力作り。走って、走って、基礎体力を鍛えられました。
リトル時代一番の思い出は、僕らの年に初めて全国選抜大会に出たことですね。会場は仙台だったかな。リーグにとって初めてだったから、リーグの歴史にも残っていると思いますし、僕らもあんな遠くまで試合をしに行ったことは初めてでしたので、うれしかったですね。
試合は準決勝で、調布に負けました。僕が投げて、0対2。当時の調布は強くて、これが唯一の接戦だったようです。調布のエースは今ロッテにいる山崎健で、小学枚時代から騒がれていたんですよ。彼に、やられました。
僕は小さくて、とにかくチョコチョコした選手。ショートとピッチャーをやっていましたが、体が小さかったせいもあり、「プロ野球に入りたい」という夢も、大学生になるころまでは抱いていませんでした。
ただ、野球をやっている間は、人一倍負けず嫌いでね。体の大きな子には負けたくない、という気持ちは強かった。やはり、ピッチャーもやっていましたし、大きい打者を打ち取る快感というのは、小学校時代感じていました。だから、負けはしたけれど調布の大きなバッターをある程度抑えることができたのは、本当に気持ちがよかったですね。
なんせ随分前のことですから、ほかはほとんど(リトル時代の)記憶がないんですけど(笑)。東京の大田リーグと民泊をし合っていて、多摩川の河川敷で野球をしたのは覚えています。電車を降りて多摩川まで歩いて、またグラウンドまで歩いて……「都会っていうのは、よく歩くところなんだな」というのが、一番の印象(笑)。
今も毎年、正月前後に稲沢のグラウンドには顔を出しています。「基本を大切に」とか「お父さんお母さんの言うことを聞いて」とか、みんなの前で話をして。僕らのころは、基本の反復練習ばかりだった。でもあのころ厳しい練習をやっていたおかげで、その後何があってもくじけるとかメゲるということがなかったから、今があるのだと思います。苦しかったけど、リトルに入って一番よかったのはそこだし、今となっては本当にいい思い出ですね。
高木 浩之(たかぎ・ひろゆき)
1972年10月14日、愛知県生まれ。享栄高から駒大を経て、95年ドラフト4位で入団。好守、巧打で内野のキーマンとして活躍する。02年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。右投げ左打ちは、野球を始めたころからの自然なもの。172センチ、70キロ。背番号4。 |
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