【松本北リーグOB/中日ドラゴンズ・柳沢裕一捕手】
リトル時代のことは、今でも忘れられません
リトル時代のことは、かなり覚えていますよ。
小3のとき、友達が城東フェニックス(松本北リーグ)に入ったんです。僕も父親と毎日キャッチボールをするぐらい、野球好きだったから、うらやましくてね。で、「入らせて」と父に頼んだら、すんなりOKしてもらえました。
リトル時代は、結構いい選手だったと思います。当時も、「自分が一番うまい選手なんだ」と思って、やっていました。だから、「誰にも負けたくない」と。チームの中では自分が一番うまいと思っていましたから、特にライバル視していた選手はいませんでした。ただ、北信越連盟大会などでは、大会前に名簿をもらうでしょう。それを見て、「コイツ知ってる」 「お、コイツはマークだな」 「よし、コイツをやっつけてやろう」とチェックしてから、いつも試合に臨んでいました。一度でも打たれたら、そのあとは「ずっと抑えてやろう」と思ってね。
一番の思い出は84年、北信越大会で初優勝して全日本に進出、全国3位になったことです。1回戦は不戦勝で、2回戦の旭川中央戦に、僕が先発。完投して、2対1で勝ちました。あれは、とても嬉しかったですね。唯一の失点は、ホームラン。相手の五番だったかな、“千葉君”って子に、やられてしまいました。
当時、信越連盟内の大会では「変化球を投げてはいけない」というルールがありまして、全国に行くにあたって、急きょ監督にカーブとチェンジアップを教わったんです。それで、何回だったか忘れましたけど、四番をカーブで三振に取ったんですよ。あの場面は、今でも覚えていますね。2アウト満塁のカウント2−3、得点は2対1。そこでカーブを投げて、見逃し三振! 覚えたてのカーブを、よくあんな場面で放ったものだと思います(笑)。
結局、次の準決勝で(優勝した)大正リーグに負けてしまいましたけど、みんな涙はありませんでしたね。松本北リーグは僕らの代から5年連続、全日本に出場しました。
リトル、リトルシニアとずっとやってきて感じたのは、何かして怒られてシュンつとなるような選手は伸びない、ということですね。「ナニクソ」って気持ち、「絶対にうまくなる」という気持ちを持ってやれば、必ずうまくなれるものなんです。「僕はダメなんだ」 「僕はヘタクソなんだ」と思っていたら、いつまで経ってもそのレベルで終わってしまいます。怒られて、ふてくされるようでもダメ。そういう選手は多々見てきていますけど、たいがいレギュラーにはなれなかったですね。
野球はリトルリーグで終わりではありませんから、夢を持ち続けて頑張ってほしいと思います。僕も当時から「絶対プロ野球選手になる」と思い続けて、それを叶えました。運がよかったこともあるけれど、練習はとにかくやりましたよ。野球が大好きで、土日がいつも楽しみでたまらなかった。だから、ランニングもどんな練習も、決して苦にはなりませんでした。
柳沢 裕一(やなぎさわ・ゆういち)
1971年8月2日、長野県生まれ。松商学園高から明大を経て、94年ドラフト2位で巨人に入団。99年途中、オリックスに移籍。01年から中日の一員に。堅実さの光る捕手として、なくてはならない存在。リトル時代は「捕手と二塁以外」すべてのポジションを守った。捕手になったのは、リトルシニアから。181cm、74kg。右投右打。背番号22 |
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