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【港リーグOB/東芝・松田直樹内野手】
高速道路下で練習していたチームが、極東大会出場。


 92年の全日本選手権で、故・八尋会
 長から表彰状を受ける松田選手
 リトルリーグ時代は、ホントに楽しかった。東京の港区という都会のチームでしたから、グラウンドがないんですよ。土、日のほかに火曜と金曜が練習でしたが、場所は首都高速道路の下(笑)。金網とネットが張ってあり、下はコンクリートですからスニーカーを履いて、うるさくないように木のバットでティーをやっていた。

 土、日になるともっぱら、グラウンドのあるリーグに出かけて試合をやってもらいました。そんなチームがなぜか、全日本まで行って優勝するんですからねぇ……。東京大会では、僕が投げて調布にコールド負けしたんですが、敗者復活で調布にリペンジしての出場です。たまたま、僕を含めて、中学1年が10人いたのもいい巡り合わせだったんでしょう。

 小学校5年のときに、父(節男さん)が監督になったんです。それからはバッティング練習ばっかりで、まあ子どものころは打つのが一番楽しいですからね。でも、それまでバッティングに自信がなかった子を左打ちにしたり、バスターをやらせてみたりすると、不思議にチーム全体が打てるようになったんですよ。事実全日本の決勝でも、11点取っている。最後のほうは、試合で“ホームランを打て!”のサインがあったくらいです。

 また僕らの年代は、抜け目がなくてね。キャッチャーの返球が山なりなのを見て、すかさず二塁に走るようなヤツが多かったんです。それを見て、“アイツがあんなことやるなら、オレも負けていられねえよ”と別の工夫をする。もちろん、勝つのは目標でしたが、純粋に打って、投げて、走って……を楽しんでいた時代です。父が監督、僕がキャプテンといっても、別にやりにくいこともなかったですしね。

 全日本で優勝して、極東大会(中国・広州)に行ったんですが、暑さに参りました。40度はあったんじゃないですか。高校のときに夏の甲子園に行ったんですが、それ以上です。しかも、朝食から中華料理で油っこい餃子なんか食べるものですから、試合中はさすがに気持ち悪く(笑)、当然カが出ない。中華台北、フィリピンと2連敗して、結局は4位でした。大会の後半、父母の方たちが日本のお米を炊いてくれたのがありがたかったですね。

 その大会には、母も応援にきたんです。前年に中国流行を計画していたのが果たせず、“中国に行きたいわ” なんていっていた。それで当時「(母が行きたいというので)ちょうどよかったです」なんて談話が『ぼくらリトルリーグ』に載って、「よけいなこといわないの!」と怒られた記憶がありますよ(笑)。

松田 直樹(まつだ・なおき) 1979年8月23日生まれ、東京都出身。小学1年で港リーグに入り、社会人野球・東芝で四番を打った父・節男さんのもと92年の全日本選手権に出場して優勝。桐蔭学園高に進んだ97年、四番として夏の甲子園に出場、2回戦に進出した。青山学院大を経て02年、東芝に入社し、親子二代の四番打者として活躍中。


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