【えひめリーグOB/北海道日本ハム・鵜久森淳志さん】
ソフトから転向して8カ月で、日本一を経験。 あの積み重ねがあったから、いまの自分がある。
 四国連盟初の全国制覇となった99年センバツ。 後列左から4人目が鵜久森選手 |
小学校の6年までソフトボールをやっていたんですが、11月で終わってしまうんですよ。それで、当時のえひめリーグ・藤岡(頼昭)監督に誘われて、リトルリーグに入りました。僕は早生まれですから、11月に入団しても8カ月ほどプレーできますからね。最初は、ソフトとボールが違いますから戸惑いましたよ。大きさも、重さも違う。でも硬球のほうが、ソフトより打球が飛ぶから気持ちがいいじゃないですか。またソフトでは僕はピッチャーだったので、下から投げてばかりでしょう。上から投げられるというのも新鮮で、おもしろかったですね。
練習は土日だけでしたが、個人ノックなどもありましたから、小学生にとっては厳しかった。練習日には「今日はどんなやろうか?」と、その日一日をこなすだけで精一杯でした。ただ、親からもいわれていましたし、自分でも入団した以上は弱音を吐かないと決めていたんで、やめたくなることはありませんでしたね。早くからそういう経験をしていたので中学、高校と続いた厳しい練習にも耐えられたんだと思っています。
8カ月限定のリトル時代ですが、全日本選手権は四国の決勝までいきながら、サヨナラホームランで負けてしまいました。僕らは人数が少なく(11人)、相手からなめられたりするのも悔しくてね。それで、なんとかセンバツで優勝でしょう。リーグとしても11年ぶりの出場で、四国で初めて、というので思い出に残っています。確か僕は準決勝で、3ランを打っているんじゃないですか。本数は覚えていないですけど、通算でもそこそこ打っているはずです。決勝は、13対0で松阪に圧勝でした。当時のチームメイトの何人かとは、高校時代に県内で対戦していますが、甲子園に出たのは僕だけですね(笑)。
子どもたちにいいたいのは、体が小さくても気にしないでいい、ということです。このころ僕はややぼっちゃりしていますが、中学で身長が20センチくらい伸びましたから。それと先日、リーグに挨拶にいったとき、えらそうに子どもたちに話したんですよ。「リトルリーグで厳しいことをやった結果として、いまの自分がある。高校時代に全国制覇できたのも、子どものころからの積み重ねがあったからで、やったらやった分だけ自分に返ってくるんだよ」というような内容。それはそのまま、プロの世界に飛び込んだ自分への叱咤でもありますね(笑)。
鵜久森 淳志(うぐもり・あつし) 1987年2月1日生まれ、愛媛県出身。えひめリトルからボーイズ・松山クラブを経て清美高へ。昨年は四番として選抜高校大会で優勝し、夏の全国高校選手権では準優勝に貢献した。甲子園では春夏通算5本塁打と、ラッキーゾーン撤去以後では松井秀書を越えてトップ。04年のドラフト8巡目指名で日本ハムに入団。 |
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