【広島中央リーグOB/横浜・投手コーチ 野村弘樹さん】
Aクラスの“赤パン”に強烈に憧れたリトル時代。 今は息子2人が楽しそうにプレーしています
リトルに入ったのは、小学2年生のころだったでしょうか。広島・広陵高野球部OBの父に入れられたというか、気がついたときにはユニフォームを着てグラウンドに行っていました。
当時の監督が、父の知り合いだったようなのですが、厳しい人でしてね。夏の暑い中、30分ぐらいずーっとキャッチボールをやっていた記憶があります。周りはみんな自分より年上の子どもばかりで、右も左も分からない、知っている人も誰もいない。野球に関しては、幼いころから父と練習をしていたので、小2にしてはそこそこうまかったはずなのですが、練習の厳しさだけで、土日グラウンドに行くのが、イヤでイヤでたまらなくなってしまったんです。
1年半後、父に「ボーイズ・リーグに移ろう」と言われ、リトルを退団しました。父の考えでは、リトルは独自のルールがあり、リードや盗塁の面など、一般の野球と違うことが大きな理由だったようです。ただ、結局ボーイズに移っても練習内容は同じで、やはりあの厳しさから解放されることはなかったんですけどね (笑)。
土日以外も、学校から帰ったらすぐに、みんなと野球をしていました。自転車のホイールに軟らかいボールをはさんで家を出て、3人、4人集まったら三角野球や手打ち野球をやるんです。僕らの時代は、ゲームなんかなかったですしねえ。
広島に住んでいたこともあり、憧れたのはカープの選手。山本浩二さんや衣笠祥雄さん、ピッチャーなら池谷公二郎さんが、バリバリの現役のころでした。池谷さんの独特なフォームのマネもしましたよ(笑)。リトルに入ったころ、衣笠さんのピカピカのグラブに憧れましてね。ナイター照明で、光るんですよ。父に手入れ法を教わり、一生懸命自分でグラブを磨きました。
短いリトル時代でしたが、振り返ればリトルのほうが、ボーイズより小さい子どもながらに緊張感があったように思います。それがなぜかは、今も分からないんですけどね。広島にいながら、東京の調布リーグが強いというのは知っていましたし、いつかは世界大会に行きたいと思っていました。でもその前に、Aクラスの“赤パン”も履きたかったなあ(笑)。僕ら白いユニフォームなのが、Aクラスだけ赤いパンツになるんです。あれはカッコよかった!(笑)
今、我が家の2人の息子がリトルリーグでプレーしています。今どきの小1から小3ぐらいの子は、ワーワー、ワーワー野球を楽しそうにやっていますね。ずいぶんリトルの環境も変わったものです。「元気を出してやったら、昼から紅白戦やるぞ−!」と監督が言うと、「ワー!」。この子たちは幸せだなあ、と思います。
野村 弘樹(のむら・ひろき) 1969年6月30日、広島県生まれ。PL学園高から88年ドラフト3位で大洋(現横浜)入団。通算成績は301試合101勝88敗、防御率4.01。93年には最多勝に輝いた。広島中央リーグの同期にタレント『極楽とんば』の山本圭壱、1つ上に阪神・金本知憲。「野球は投も打も一方向への動きが多いので、反対方向への動きを入れた運動などで、バランスをとって、ケガを防いでほしい」と指導者にひと言。 |
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