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【えひめ港南リーグOB/ヤクルトスワローズ・藤井秀吾投手】
僕が育った原点。きっかけはどうあれ、長く続けることが大切です

藤井秀吾投手  4月に公式戦で松山に行ったとき、港南リーグの子どもたちを招待しました。当時知っている方もまだたくさんいて、懐かしかったな。リトルリーグに入ったのは、(伊予市立)北山崎小の2年のときなんですが、僕よりも3歳上の兄貴のほうが野球をやりたがっていた。僕は野球、というより習い事が好きじゃなくて、土日に学校の友達と遊べないのが寂しかったんです。リーグには、同学年に同じ学校が僕しかいなかったしね。それでもまあ、グラウンドに行ったら行ったで、砂場遊びとか楽しくやっていましたけど(笑)。

 僕の1学年上が、88年の全日本に出ているんです。東京ドームで開会式をやったときですね。ただ僕は当時5年生で、まだBチームでした。僕たちの代になってからは89年、札幌で行われた全国選抜に出ています。初戦で調布に勝ったんですが、準々決勝で仙台中央に負け。そのチームには、いま日本ハムの江尻(慎太郎)が補欠でいたらしい。そうやって全国大会に出たり、いまの自分の基礎となっているのは、間違いなくリトルの時代に築かれましたね。ピッチャーとしての僕を育ててくれた稲田先生も、もちろんいろいろ怒られはしましたけど、欠点を直すよりもいいところを伸ばしてくれる指導で。僕の原点です。ただ僕らのチームは、10人のうち9人が早上がり(生まれが8月以前)だったんです。だから、中1までリトルを続けたのはたった一人で、それがかわいそうだったなぁ。

後列左から3人目  リトルを終わってから、中学1年の夏まで野球とは離れていたんです。やはり、習い事がきらいで(笑)。それが、リトルの1年先輩で仲がよかった西岡隼人さん―のち、松山商のキャプテン―がいた松山ボーイズの試合を見に行ったら、「一緒に練習しないか」と誘われ、なにげなくランニングしたらそのまま入団(笑)。でも僕は、最初はどうあれ始めたことは最後までやり通すほうなんで、いまこうしていられるんだと思います。子どもたちには、野球でも勉強でも、とにかくひとつのことを続けてほしいですね。うまくいかなかったら、そこでまたやりたいことを見つければいい。

 先月号に登場していた原(俊介)とか福留(孝介・中日)なんかは、高校2年のときに高校選抜でオーストラリアに遠征した仲間です。ただ僕は野球事情をよく知らなくて、当時騒がれていた福留のことも「PLなの? すげえな」とピントはずれのことをいっていたくらい。のちに雑誌の表紙になったりしているのを見て、「ホントにすげえんだ」と思った記憶があります。リトルに限らず、野球ではそういう人のつながりができるのがいいですよね。

藤井 秀吾(ふじい・しゅうご) 1977年5月12日生まれ、愛媛県出身。今治西高校時代の95年センバツでベスト4。早稲田大学を経てドラフト2位で00年ヤクルト入り。2年目の01年には、14勝で最多勝に輝き翌年も10勝。03〜04年はたび重なる故障に泣かされたが、今シーズンはローテーションの一角として完全復活が近い。



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