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【調布リーグOB/千葉ロッテマリーンズ・山崎健投手】
「デッドボールになったらかわいそう」とインコースに投げられなかったマイナー時代

山崎健投手  小さいころは体が弱くて、登校拒否をすることもあったんです。医者に「何かスポーツをしたほうがいいですよ」と勧められ、地域の軟式野球チームに入ったのが、野球を始めたきっかけでした。

 小3のとき、知り合いのおじさんに誘われて、調布リーグのテストを受けました。300人ぐらいテストを受けに来ていて、何人ぐらい受かったのかなあ……。最初の背番号は、「34」でした。

 初めは、練習がつらくて泣きましたよ。休みも月曜日しかなかったし。それでも野球自体が好きだったので、やめたいとは思いませんでした。それに、あのときはやればうまくなる、という感じだったので、楽しかったんですね。

 小3で入団したときから、一つ上の先輩たちに交じってピッチャーをしていました。でもマイナー時代――4、5年生までは、バッターのインコースに投げられなかったんです。デッドボールを当てたらかわいそうだな、と思って(笑)。(鈴木)監督には何も言われませんでしたけど、うちのオヤジには怒られました。

 当時は大会に出たら、全部優勝しなくちゃ、と思っていたんです。負けるのがイヤだったし、何よりうちのオヤジが怖かった(笑)。オヤジにほめられたい、というのもあってやっていましたけど、結局リトル時代は、ほめられた記憶がないんですよね。

 なんせ負けたら、僕のせいだって言われるんです。試合に投げていても投げていなくても、勝てなかったのはオマエのせい、と。家に帰るのがきつかったですねえ。もう、帰りたくないと思いました。で、同級生の家に行ったりしていましたけど、結局は帰らなくちゃいけないから(笑)。逃げた、とわかると、余計に怒られました。

 僕は結局、全日本には縁がなく、小6、中1と2年連続してセンバツに出場しました。最後の夏は、センバツ優勝。「全打席ホームランを打ちたい」と思って臨んだ大会で、さすがに全打席は打てなかったですけど、4試合3ホーマーを打ちました。

 ライバルと思っている選手はいませんでしたが、ほかのチームで仲のいい選手には、やはり負けたくないと思っていました。だから、調布での練習のほかに、家で毎日シャドウピッチングと素振り。バットは300から500回、振っていました。家でオヤジにティーを投げてもらったり、外で素振りをしたり。素振りだったら、高め、低め、アウトコース、インコースを想定してスイングをする、投げるのも目標を決めて、タオルを振る。リトル時代は、そんな練習をしていましたね。

 東京連盟の大会では、保谷の萩原淳(現オリックス)、センバツでは稲沢の高木浩之(現西武)らと対戦しました。高木とは、準決勝で直接投げ合っているんですよ。ほかにもドジャースの中村紀洋は、大阪淀川時代、調布に遠征に来たとき、僕の家に民泊しているんです。リトル時代いっしょだった選手とは、その後もあちこちで顔を合わせています。あのころは俺抑えてたのに、今じゃあ打たれるな、とか、あのころはよく打っていたのに、抑えられてるな、とか(笑)。野球を続けていると、そんな楽しみも出てくるんですよ。

山崎 健(やまさき・けん) 1972年10月21日、東京都生まれ。調布シニアを経て関東一高時代には甲子園に出場、91年ドラフト4位で広島に入団した。その後02年、千葉ロッテに移籍。ロングリリーフもできる貴重な存在として、昨年39試合に登板。今年もリリーフで好調・千葉ロッテを支える。178cm80kg。右投右打。背番号46。



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