【タレント/ロシアンモンキー・川口清行さん】
努力して目標を達成する喜びを知ったリトル時代 血を流しながら練習した毎日
衝撃−僕がリトルに入ったときの第一印象でした。小学校から少年野球チームで平々凡々と野球をやっていた僕が、甲子園の夢をかなえるために早めに硬球に慣れて高校野球の基礎を作ろうと思ったのが、5年生の秋のこと。それまでのチームでは、投手と捕手を兼任。僕が中心のチームで、リトルでもある程度できるだろうという自信がありました。それが、リトルの練習に初めて参加した日、監督に「遠投してみろ」と言われ初めて硬球を投げてみたら、重くて30mしか投げられなかったのです。「投手をやりたいです」と言っていたのに、「なれるか!」と監督に一喝。めちゃくちゃショックで、小さい頃の僕にとって、リトルリーグは衝撃のスタートでした。
やっていけるだろうか。そんな不安がよぎりましたが、1つ年上に同じ小学校から入った憧れの先輩がいて、その頑張っている姿を見て、俺もやればできる。やるからには背番号1を取ろうと励みました。練習はとにかくハード。スクワット500回に、腹筋に背筋。タイヤ引き、それを持ちながらのトレーニング。時には、手から血が出るほど。でも、半年経った6年生の春には、ふっくらしていた体が筋肉で締まった体つきになっていました。トレーニングの成果がしっかり現れていたのです。
憧れの先輩はとても頭がよく、努力してエースになった人でした。僕は、その姿をよく参考にしました。練習が終わってからも、隣の市に住んでいた先輩の自宅まで走って行き、一緒に野球教室のビデオを見てフォームの研究。帰りも家までランニングでトレーニング。本当に仲良くしてもらいました。いつも一緒に練習をしながら「絶対にこの1番はオマエがつけるんやぞ」と先輩が言ってくれた言葉は、苦しい練習の毎日の僕の心の支えでした。6年生でエース番号をもらったときは、うれしくて、真っ先に先輩に報告に行ったのを覚えています。
その後、高校時代に腰の分離症でプロ野球選手になる夢は絶たれてしまいましたが、もう一つの夢、芸人になる夢をかなえました。現在でも、当時戦ったことのある選手と再会するなど、野球をきっかけに人脈が広がっています。今になって、野球経験が人生に生きているのを実感しています
当時のリトルの監督がよく言っていたのは、「練習は厳しく、試合は楽しく。それで勝てればいい。みんなが下を向いて勝ってもしょうがない。そのための練習は惜しまずにやろう」ということでした。今、頑張っている皆さんも、努力で目標を達成する充実感、野球の楽しさを感じてください。
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川口清行(かわぐち・きよゆき)1977年9月25日生まれ。大阪府四条畷市出身。170cm、71kg。血液型A型。ボーイズリーグを経て進学した東海大仰星高校では、野球部主将を務める。現在は吉本興業所属のお笑いコンビ『ロシアンモンキー』の一員として舞台を中心に活躍中。『極楽とんぼ』の山本圭壱氏が主宰するチーム「社長」で野球を楽しんでいる。 |
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