【江戸川南リーグOB/北海道日本ハムファイターズ・小谷野栄一内野手】
松坂大輔がいたことが、これまでの野球人生の大きな支え
「同じ地区にうまい選手がいる」その噂を耳にしたのは、小学校6年生の頃でした。その選手とは松坂大輔(現西武・投手)。松坂が在籍していた江戸川南リーグは、何度も全国大会に出場し、江東区、江戸川区では一番強いといわれていました。秋、そのチームの監督から「キミもうちのチームに入らないか?」と声をかけてもらったのが入団するきっかけです。僕は当時、江東区の「辰巳」という軟式チームに入っていましたが、プロ野球選手と同じ硬球で野球をやりたい、という気持ちが強かったことと、いい選手と一緒にやりたいと思っていたので、すぐに入団を決めました。
練習はとにかく厳しいものでした。消極的なプレーをするとすぐに怒鳴られる。長距離の走りこみ。練習中は水を飲んではいけない。根性野球そのもの。僕はといえば、初めての硬球で打球は飛ばない。足も遅い。みんなよりも体が小さい。同じ年でこんな野球をするヤツらがいるんだ、と驚きの連続でした。
すぐに仲よしになったのが、松坂でした。練習は水、土日の週3日。江東区から江戸川区にある練習グラウンドまで自転車で50分。途中、松坂の家に寄って、いつも一緒に練習に通いました。走りこみにノック。バットも数多く振りました。当時、声がハスキーだった僕は、声が出るまで怒られながらノックを受けたこともありました。「よし来い!」と大きな声を出しているつもりでもハスキーな声はノッカーまで届かない。どうして伝わらないんだろう、と悩んだこともありました。当時習っていたピアノの先生には「風邪を引いているの?」と聞かれるほど。でもあるとき、ノックを受けていたら「オマエ、声が出てるじゃないか」と監督に誉められたことがありました。レギュラーを取れたのは、その直後、春のこと。本当にうれしかったです。
一番思い出に残っているのは、中1の夏。第17回全国選抜大会で全国優勝したことでした。その年の全日本東京連盟大会では3位で全国出場を逃していました。最後は必ず優勝しようと全員で気持ちを一つにして戦ったこの大会。優勝でここまでやってきてよかった、という達成感でいっぱいでした。
僕がここまでリトルで頑張ることができたのは、松坂の存在も大きかったと思います。エースで四番の松坂に、負けたくない。少しでも追いつきたい。その一心で練習しました。もちろん、常に松坂が上なのはわかっていました。でも同じ年で目標となる人間がいたことは、野球を続ける大きな支えだったと思います。リトルでの経験があったからこそ、高校で甲子園にも出場できたし、今現在のプロ野球選手でいる自分もいると思います。
僕のように、プロでも体は小さくても、野球を好きな気持ち、そして何かを目標にする気持ちがあれば技術は伸びると思います。そのうち、必ず最後まであきらめない気持ちが出てきて、自分の夢も必ず達成できるでしょう。みなさん、頑張ってください!
小谷野 栄一(こやの・えいいち) 1980年10月10日、東京都生まれ。創価高校から創価大学を経て03年ドラフト5巡目で日本ハム入団。高校3年春、センバツで甲子園出場、初戦敗退。パワフルで勝負強いバッティングが魅力。177cm、83kg。右投右打。背番号31。 |
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