【江戸川リーグOB/ヤクルト・伊東昭光ヘッド兼投手コーチ】
子どもの可能性は計り知れません。いろんなポジションを経験させてほしい
江戸川区の団地に住んでいたんですが、目の前の公園で、友だちとよく三角ベースなどをやっていました。あのころは、約束するわけじゃなくても、放課後になると自然に子どもが集まりましたよね。そのうちに団地のチームに入ったんですが、すぐに物足りなくなった。で、同じ団地の上級生がリトルリーグに入っていると聞いて、見学に行ったんです。その場で守備、走塁をやらせてもらい、その日のうちにもう、 “オレはここでやる”と決めていました。4年生のときだったかな。
硬球に対する恐怖感、というのはなかったんですが、最初に打球を顔に受けたときは痛かったなあ。でもまあ体も大きかったし、50〜60人いるなかで、すぐに上級生に交じって試合に出ていましたよ。ポジションはピッチャーかショート。ただ当時の東京は、調布がすごく強くてね。僕の江戸川は、城東地区の予選を勝てるかどうかというレベルでしたね。父親が指導者だったんですが、あまり違和感はなかったですよ。ただいま思うと、周囲の目もあるので、父親は必要以上に僕に厳しかったようですね。中学では、江戸川にはシニアがなかったんで、当時発足したばかりの江戸川ポニーに入りました。いちおう全国優勝もしていますが、なにせ当時はポニーのチーム自体が少なかったから(笑)。
いまは、次男(優多君)が江戸川南で野球をやっているんです。長男(駿多君)は幼稚園からずっとサッカーなんですが、次男のほうは自分から野球をやりたいと言い出した。まあ子どものうちは、いろんなスポーツをやってくれればいいと思いますよ。地域によって盛んな競技がありますし、また野球であれば軟式でも、硬式でもかまわない。ただ指導者の方には、子どものうちから可能性を限定しないでほしいですね。体が小さいからセカンド、というのではなく、いろんなポジションをやらせてみる。ノックのとき、15分ごとにポジションを移動させれば、おっ、コイツはなかなか……というのが見えてくるかもしれません。ポジションを固定するのは、大会が近くなってからでいいでしょう。
それにしても、リトルリーグの世話をするかみさんを見ていると、大変そうですね。専業主婦ですから、ファクスで予定を流したり、配車係の連絡を買って出る。週末はリトルリーグオンリーで、僕の相手はまったくしてくれないんですよ(笑)。全国で、そうやってリトルリーグを支えてくれている人たちには、ホントに頭が下がります。
伊東 昭光(いとう・あきみつ) 1963年4月2日生まれ、東京都出身。帝京高−本田技研−ヤクルト(85年D1位)。高校時代の80年センバツ準優勝、社会人では84年ロス五輪も経験。プロ2年目の87年には14勝、88年にはリリーフエースとして18勝で最多勝。故障から復帰した92年にはカムバック賞を獲得した。98年で現役を引退、通算87勝。 |
|
|