2008年プロ野球界に入った新人選手の中で最も注目され、活躍が期待されているのが仙台育英高校からヤクルトに入った佐藤由規投手、日本ハム・中田翔内野手(大阪桐蔭高校)、中日・赤坂和幸投手(浦和学院)です。3選手は佐藤投手が東北連盟・仙台東リーグ、中田内野手が中国連盟・広島鯉城リーグ、赤坂投手は神奈川連盟・横浜三ツ沢リーグ出身です。中でも佐藤投手は2002年の世界選手権に出場して世界2位となった仙台東リーグの一員でした。その佐藤投手から「リトル時代からプロ入りまで、どういう考えで野球をしてきたのか」−の感想が届きました。また中田、赤坂両選手からもリトルリーガーへ「リトルリーグは野球の出発点」と激励のコメントが送られてきました。ちなみにリトルリーグを卒業して現在プロ野球で活躍している選手は71人にのぼります。

仙台東リーグOB/東京ヤクルトスワローズ佐藤由則投手

佐藤由規投手にリトル時代から中学、高校そしてプロ野球1年生としての質問に答えてもらいました。

Q まず、生年月日からお願いします
― 平成元年12月5日生まれです

Q 家族は両親のほかにどなたがいますか
― 父(均さん・47歳)、母(美也さん・48歳)に祖母(ヨネ子さん・83歳)、兄(史規さん・20歳)、弟(貴規さん・14歳)です

Q リトル・リーグに入ったのは小学校何年生のときですか
― 4年生の時です。兄に誘われて、です

Q 入団したとき、キャッチボールやバッティングはどうでしたか
― 兄とキャッチボールしていたので、取ったり投げたりは、まあまあでした。 バッティングは、ただ夢中でバットを振っていました

Q 初めて守ったポジションはどこですか
― サードです

Q レギュラーになったのは何年生のときですか
― 5年生の春です

Q 家ではどういう練習をしていましたか
― 兄弟でキャッチボールやティーバッティングをしていました。 素振りは100回。ランニングは1時間くらいです

Q 練習がつらい、遊びたい…で、リトルをやめようと思ったことはありますか
― リトルをやめようと思ったことは一度もありません

Q 卒団したときの将来の夢を教えて下さい
― プロ野球選手です

Q 中学校では、シニアとして活躍していましたが、その時の思い出を話してくれませんか
― 中学2年生の3月、大阪全国大会で投げたとき、大雨の中での試合でした。 投げても投げてもストライクが入らず、メンバー全員がドロドロになり、悔しくて泣きながら試合をしたことがありました。結果は、コールド負けでした

Q その辛かったことに、どのように立ち向かいましたか
― チームの仲間が全員同じ気持ちで戦い、一致団結できた喜びと、お互いはげまし合い、「自分ひとりではなく、仲間がいるんだ」と負けた悔しさをバネに、次の力をつくることができました

Q 高校に入ってのことを聞きます。各学校から優秀な選手が入ってきたと思います。そのとき、どう思いましたか
― 自分以外の人は、素晴らしい力を持っているように見えました。とにかく今は、そんな人たちについて行けるよう頑張ろうと、思いました

Q 高校の練習は厳しかったと思いますが、学校以外の練習はどうでしたか
― バッティング、シャドーピッチング、ランニングは、時間や回数ではなく、納得のいくまでやりました

Q そういった努力が実り、レギュラーになったのは何年生のときですか
― ベンチ入りできたのは入学直後でした。レギュラー(背番号1)になれたのは、2年生の春でした

Q エース番号をつけたときの気持ちはどうでしたか
― とにかく背番号だけは、ぜったいにはずされないように、何が何でも(練習に)食いついていこうと思いました

Q 甲子園のマウンドを夢見ていましたか
― 背番号1をつけたときから「甲子園のマウンドに立てるチャンスは3回(2年生の夏、3年生の春、夏)ある。ぜったいに立ってみせる」と、強く思いました

Q そして立つことが出来ました。マウンドに立ったとき、どんな感じでしたか
― 緊張もしましたが、燃えました

Q 掲示板に157`の最速が出ました。その数字が出たときはどうでしたか
― 観客のどよめきで、甲子園が揺れました

Q 甲子園で、たくさんの思い出をつくり、そしてドラフトでは多くの球団から指名され、ヤクルトが交渉権を獲得しました。ヤクルトはどうおもいましたか
― ドラフト前は地元(楽天)でと思っていましたが、ヤクルトのユニホームが好きでしたので、満足でした

Q 念願のプロ野球に入りました。1年目に立てた目標を聞かせてください
― 新人王です

Q 最終的な目標はなんですか
― プロ野球の最速です

Q 色々な質問に答えてくれてありがとうございます。最後に、リトルリーガーにアドバイスをお願いします
― 苦しいことがたくさんあると思いますが、常に目標を持って進んでいけば「必ず叶(かな)う」と信じて、目標を持ち続けてください

佐藤 由規(さとう・よしのり)
1989年12月5日、宮城県仙台市生まれ、18歳。小学校4年生でリトル野球を始め、中学1年のとき、仙台東リーグの一員として世界選手権に出場、準優勝。ロシア戦でノーヒットノーランを達成。
昨年夏の甲子園大会の1回戦の知弁和歌山戦でMAX154`を記録。そして日米親善野球では157`をマーク、自己記録を更新した。身長1b79、体重75`。右投げ、右打ち。

広島鯉城OB/北海道日本ハムファイターズ 中田 翔

 高校記録の通算87本塁打をかっ飛ばしたスラッガーの中田翔選手も、リトルリーグ時代は皆さんと同じでした。 「道具の大切さを学びました。グラブ、バット、スパイク…大事に扱い、きれいにしていました。そうですね、辛い思い出は、たくさん走らせられたことです。グラウンドを70周です。ホントに死ぬかと思いましたよ。でも楽しかった」 当時を振り返りながら中田選手は「努力すればプロ野球選手になれると思います。道具を大切にして、たくさん練習して頑張って下さい。みなさんがプロになってくるのを待っています」と、話してくれました。

◆ 中田 翔(なかた・しょう)
1989年4月22日、広島県生まれ、18歳。広島・竹屋小学校3年の時に野球を始め、国泰寺中学3年の時に日本代表に選出され、世界大会準優勝。
大阪桐蔭高では1、2年の夏と3年春に甲子園出場。10試合で打率・324、4本塁打、11打点。身長1b82、体重95`、右投げ右打ち。

横浜三ツ沢OB/中日ドラゴンズ 赤坂 和幸

 高校生ドラフトで中日から1巡目で指名され入団した赤坂和幸投手は、1月6日、横浜市神奈川区で行われた横浜三沢リーグのグラウンド開きに参加した。埼玉・浦和学院を2度甲子園に出場させた赤坂投手は、高校時代は通算58本塁打をマークするなど、投打ともに優れた選手だった。
中日では投手一本で臨む。「中田君(日本ハム)は、高校で断然上でしたが、プロでは勝ちたいです」とキッパリ。そして後輩達に「練習は厳しいと思いますが、試合では野球を楽しんで下さい」とエールを送った。

◆ 赤坂 和幸(あかさか・かずゆき)
1989年9月4日、神奈川県横浜市生まれ、18歳。小学時代は横浜三沢リーグに所属。神奈川中時代、青山リトルシニアで関東大会に出場した。
高校では2度夏の甲子園に出場。一昨年の金沢戦で2ホーマー。昨年は、前橋商戦に先発したが、1―2で敗退。身長1b84、体重85`。右投げ右打ち



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